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雄勝湾は、古くから「月の浦」と呼ばれており、その名の起こりは坂上田村麻呂による蝦夷征伐の頃と伝えられている。
湾奥には、慶長年間に支倉常長ら一行をローマに遣わせた使節船サンファンバウティスタ号の建造地(十五浜村の呉壷)があることで有名である。
大正時代には軍艦の入港が見られるとともに、その湾内地形や自然条件から大小船舶の停泊や避難に利用されていた。
昭和8年、三陸地震津波で大きな被害を受けたが、その後復興が進み、遠洋・近海・沿岸の漁業基地として、また特産品の硯石やスレート製品の積出港として栄えた。
雄勝湾には、大浜、立浜、伊勢畑、小島、唐桑、水浜、浪板の7地区があるが、いずれも沿岸浅海型漁業が盛んであり、その生活基盤を支える物揚場や船揚場等を整備したものである。
東日本大震災の大地震及び大津波により港湾施設が甚大な被害を受けたが、災害復旧工事は令和3年度末までにすべて完了した。
航空写真は東日本大震災被災前のものです。
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