あれコレ!みやぎ・・・女川町と共に生きるサッカーチーム「コバルトーレ女川」
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始めに
宮城県東部、牡鹿半島の付け根部分に位置する女川町は、リアス式海岸の天然の良港を中心とした港町。コバルトーレ女川は、その女川町をホームタウンとするサッカーチームです。スポーツを通じた魅力的な町づくりを目指して平成18年4月に発足し、現在は東北社会人サッカーリーグでプレイしています。チーム名は、女川の青い海(コバルトブルー)と自然豊かな森(フォーレ)をイメージ。エンブレムは女川の「女」の形に輝く黄金の朝日を浴びてウミネコが舞うデザインです。
今回は、近江弘一(おおみこういち)取締役社長と阿部裕二(あべゆうじ)監督に、サッカーの力で女川町を元気付け、100年続くクラブを目指す運営理念やその思いを伺いました。
- 編集部
なぜ、女川町をホームタウンに選んだのですか。
- 近江社長
女川町は漁業を中心とした港町ですが、少子高齢化が進み、地域の活気が失われつつありました。
そこで、スポーツを中心に町を活性化させ、若者の活動人口を増やしたいという思いから、その推進的役割を果たすため「コバルトーレ女川」を発足させました。
- 編集部
そのための具体的な取り組みは。
- 近江社長
まず選手には、女川町民になってもらいます。若い人たちが暮らせる環境を作るため、寮を整備し、そこで寝食を共にしました。また、町内の企業に就職し、昼間は町の人たちと一緒に働きながら、コミュニティを作り、若者の力で町を元気にする。夜は夢を追いかけてサッカーの練習に励んでいます。その他にも、サッカーの大会などを主催することで、県内の子どもたちが女川町を訪れます。こうした仕組みにより、地域と一緒に新しいスポーツ文化を創り出す、シンボリックなチームにしていきたいと考えています。
- 編集部
選手が働く地元企業の理解はいかがですか。
- 近江社長
選手たちは、自分の時間、人生をこの町にかけ、企業は選手をバックアップしながら一緒に町を創ろうとしてくれています。月曜日から金曜日の週5日8時から17時まで働かせてほしい。練習があるので残業させないでほしい。土日は試合があるので仕事を休ませてほしいというのが基本条件です。最初は多くの企業様がこうした条件を受け入れてくれませんでしたが、徐々に認知されてきました。企業で働くことで、従業員も応援してくれるなど、コミュニティにも溶け込んできていると思います。
- 編集部
どのように選手の皆さんを集めていますか。
- 近江社長
最初は市民リーグから始めたので、創設の際はこちらから力のある選手をスカウトしました。県リーグ、東北社会人リーグと勝ち進んでいくに従い、率先して入団を希望する選手が増えてきましたので、その時のチームのレベルに合わせて選抜しています。今は、インターハイ経験者などレベルの高い選手らが加わり、チーム全体が底上げされています。
もっとも、強ければいいというわけではありません。選手には、女川町を活性化させ、若者の人口を増やすという、われわれの活動理念をきちんと理解してもらう必要があります。
- 編集部
クラブの理念に共感してもらうことが、何より大事だということですね。
- 近江社長
マスコミに取り上げられる機会が増えたおかげで、チームの在り方が広く知られてきていると感じています。地域貢献という理念に共感して入団を希望する選手が増えてきていることに、喜びと手応えを感じています。
- 編集部
素敵な話ですね!
- 阿部監督
近江社長がいつも言うように、「強いだけでは駄目」なんです。最終的な目標は「女川町を元気にする」ことです。サッカーはそのためのツールだと考えています。
- 近江社長
一方で、強いチームであること、勝利が大切なのも事実です。応援してくれる方々を元気付けるには、やはり勝ち続けなければなりません。
- 編集部
東日本大震災が発生し、選手の皆さん自身も被災して不安を抱えている中で、チーム全体で支援活動を行ったと伺っています。女川町とコバルトーレの深い絆を象徴するエピソードだと感じました。
- 近江社長
選手たちには「地域に貢献し続けるんだ」とクラブの発足当初から言い続けてきました。震災の前は、私の思いは漠然としか伝わっていなかったかもしれません。
しかし、甚大な被害の中、選手たちは誰一人この町を離れず、給水活動や食料配送などの救難支援の作業を懸命に行いました。その姿を見た町の人達が「あいつらはこの町に必要だ」と言ってくれるのを聞いて、選手も自分たちが、そして「コバルトーレ女川」がこの町に存在する意味というものを分かってくれたのだと思います。
震災により、チームの活動を1年間休止せざるを得なくなりました。震災の約一ヶ月後、選手を集めてこれからのことを話し合いました。女川町に残るか、他のチームに行くか、一人ひとりよく考えて、決断してほしいと。ただし、一年後には必ずチームを再開することも約束しました。やむを得ずチームを離れた選手もいましたが、残っている選手たちは、自分たちがこのチームで頑張ることで、戻ってきてくれる仲間もきっといるはずだと信じて救難活動を続けました。
- 編集部
復興支援として、町の子どもたちにサッカーを教え続けていたと聞いています。
- 近江社長
われわれの活動が、メディアによって多くの人に伝えられ、サッカーボールをはじめ、ウエアやシューズなどたくさんの支援物資が女川町に届きました。多くの人に支えられながら、サッカーを通じて子どもたちを元気にすることができ、反対に子どもたちからも笑顔をもらうことができました。
- 編集部
震災から一年後、初めての試合が行われた日、試合会場には約500人ものサポーターが集まったそうですね。ホームページには、サッカーを続けることの葛藤と復活したことの喜び、そしてチームを支えてくれた、たくさんの「笑顔」に対する感謝の思いがつづられています。
こうして活動を再開し、現在も女川町の活性化に貢献しているコバルトーレ。今後、どのようなチームを目指しますか。
- 近江社長
まずは、100年続くクラブを目指しています。もちろんその先も、女川町と共に前進し続けていきます。
コバルトーレは、2017年東北社会人リーグ1部で優勝しました。次は、全国の地域リーグ優勝チームを含む12チームがJFL(ジャパンフットボールリーグ)昇格をかけて戦う「全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017」に臨みます。一次ラウンドは11月10日から始まります。創設当時から描いていた「Jリーグ」という目標に向け、これからもチーム一丸となって頑張ります。
編集部から
パワフルな近江社長と阿部監督のお話を伺い、コバルトーレ女川の理念を大切にし、女川町と共に歩む、その熱い思いを強く感じました。特に、その理念に共感した選手が集まり、チームがどんどん強くなっているという話にとても感動しました。
クラブのホームページにこれまでの歴史が記されています。また、震災を乗り越えピッチに戻ってきた選手たちの姿を描いた「被災地からのリスタート ~コバルトーレ女川の夢~」という本が出版されていますので、もっと深くコバルトーレのストーリーを知りたい方は、ぜひご覧ください。
読者プレゼントとして、2017年東北社会人リーグ1部の優勝記念バッジとキーホルダーを頂きました。詳しくは、プレゼントコーナーをご覧ください。