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覚乗寺は、葛西氏滅亡後しばらく荒廃したが、寛文6年(1666)登米5代の伊達式部宗倫が再興した。宗倫は宗家より養子となって登米にきていること、覚乗寺を復興していることなどから、菩提寺の養雲寺に葬られず、とくに覚乗寺に埋葬された。本霊屋は天山廟とも称し、寛文12年(1672)に竣工した。方3問、前面に向拝及び縁をつける。素木造、床板張、屋根は宝形造、こけら葺。
内部は、須弥壇の上に壮麗な家形厨子を置き、須弥壇の床下に石畳の墳墓を設けている。禅宗様の簡素堅実な技法を示し、厨子は極彩色を施し精巧である。松島の圓通院霊屋とともに仙台藩霊屋建築の秀作とされている。
指定年月日:昭和28年3月21日
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