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元禄時代、4代藩主伊達綱村が監竈神社改築の際、境内地にあった糺の宮を現在地に移し、併せて上賀茂神社をも勧請した。
下賀茂神社(御祖神社、地元では東の宮と呼ぶ)と、上賀茂神社(別雷神社、地元では西の宮と呼ぶ)の二社が並んで建つ。両社は同型で一間社流造、屋根茅葺、箱棟造、朱塗で赤神様と呼ばれている。墓股、懸魚、虹梁などに堅実な手法がみられる。棟札によれば、下賀茂は元禄9年(1696)、上賀茂は同10年(1697)に成ったことがわかる。
指定年月日:昭和39年9月4日
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